ロータス通信 No.315 2025年12月11日発行
支援の輪は確実に広がっています。来年の飛躍に向けて、着実な活動を!暖かいご支援をお願いします。
理事長 新井愛一郎
猛暑から短い秋、そして冬へ。そんな中で、私たちはこれからの活動につながる可能性をつかんできました。
11月28日の点字考案200周年記念シンポジウムに67名の方が参加してくださいました。台湾、ネパール、ケニア、マレーシア、キルギスの5名の元留学生に、それぞれの点字の説明や歴史、点字をめぐる状況、それぞれが点字とどうかかわってきたかなど、もちろん日本語でしっかりとお話ししてくれました。「大変有意義な内容でした」という感想が多かったので、ぜひたくさんの皆様に聞いていただくようにYouTubeの公開をしていきます。
キルギスではマッサージを学ぶ場においても点字の教科書がないこと、点字離れということが言われるが、深く学ぶためにも点字での学習の意味は大きいこと、ケニアの盲学校では、全員が点字を使えることを大切にしていること、教科書以外の本の出版は少ないことなど、いろいろな点が話されました。今回のイベントの経験を踏まえて、元留学生と結んでのオンラインで、いろいろなテーマで交流、学習をしていきたいと思います。どうかご期待ください。
マレーシアの元留学生達が力を合わせて、自国の理療技術の発展のための研修会を企画し、援護協会としても支援できたことも大切なことです。これからも継続した活動が期待されます。
トルコの女性が旅行で援護協会を訪れ、点字での日本語学習の問い合わせがありました。まずは日本点字の勉強会のスタートを予定しています。今後、日本語教師の皆様の、ご支援をお願いいたします。
また、キルギスの元留学生が日本語の先生の支援の下、将来の日本留学に向けて日本語サポートを開始したことも今後への大切な一歩です。
ベトナムの視覚障害者団体から、理療の勉強のための日本留学についての問い合わせが来ており、これからの展開が期待されます。
ネパールの視覚障害者の教育の研究をされる大学生へ、私たちの元留学生スレスさんを紹介して、現地での有意義な調査に協力できたことの意味は大きいと思います。そして台湾での視覚障害者教師の研究をされる方にも元留学生の謝さんと支援の方が、サポートを開始しております。
留学生との楽しい交流も含めて、若い人たちの私たちの活動への支援が広がってきており、これからの活動展開が期待されます。
また、「視覚障害者日本語サポート研究会」(仮称)の活動拠点の「部屋」を作ることについては、工事が11月末にやっと終了し、整備がスタートしました。今、備品や資料を急ピッチでそろえております。3月末までには、オープンイベントができるように準備を急いでおります。
来年は、これらを具体的な活動に結び付ける大切な時期になります。
そしてそのためにも皆様方のご支援が不可欠です。物価高騰の折、はなはだ恐縮ですが、年末のご寄付をよろしくお願い申し上げます。
インフルエンザも流行する中、一年の疲れが出る時期、皆様にはお体を大切に、新年をお元気でお迎えください。
そして久しぶりに開催される1月12日の新年会でお会いしましょう。留学生達と楽しい一時を過ごしましょう。
なお、新しいパンフレットの発行と共に、「国際視覚障害者援護協会」としての公式のfacebookの運用も開始しました。ぜひ、多様な媒体を駆使して多くの皆様とのつながりを作り出していきたいと思います。
素晴らしいメールをいただきました!
海外協力隊60周年記念式典に参加して
鍼灸マッサージ師 元JICA海外協力隊 綱川 章
セントルシアの活動では、応援していただき、大変ありがとうございました。
11月13日木曜日にJICA海外協力隊の60周年記念式典がありました。有楽町の東京国際フォーラムでありました。
三千人以上参加したそうです。式典の第2部と並行して、11階で天皇皇后両陛下とご懇談の機会がありました。
帰国隊員5人と高校生一人、それに私の妻、JICA理事長、事務局長が参加しました。
私の目の前、1メートルほどが天皇、右斜めが皇后でした。
皇后さまは、ワインレッドの服で、同じ色の帽子をかぶっていました。
両陛下とも、静かで優しい声でした。
各隊員の活動先は、ブラジル2名、フィリピン、マラウィー、東チモール、私はセントルシアでした
各自が任国での活動について、話しました。
私は自分が最年長と思ったので、なるべく控え目にしていました。
セントルシアの活動について、初めに三つだけ話しました。
その1は、初めて7人の視覚障害指圧師を育てたこと。
その2は、活動先で指圧クリニックを開き、生徒が現金収入を得られるようにしたこと。
その3は、クリニックには、日本の友人が描いて送ってくれた雪をかぶった富士山の絵と、セントルシアの市場で購入したシンボルの山、ピトン山の絵を飾り、日本とセントルシアの友好親善を表現したこと。
両陛下は喜んでくださいました。
また、少し後で、一番楽しかったこととして、指圧の授業の休み時間に、日本のことや、セントルシアのことを生徒と話し合ったり、歌を歌ったりしたことを話しました。
ほかに、人々から日本がとても好感をもたれていることを話しました。
「何が?」、と質問がありましたが、日本のことは何でもですと応じました。そして、日本車がたくさん走っていること、救急車やごみ清掃車も日本製だったこと。日本のアニメで日本語を習った人に何人か出会ったことを話しました。
妻にも質問があり、妻は、1時間半もかけて、バスで通ってきた女性が、バスの運転手さんに手伝ってもらい、持ちきれないほどの誕生日祝いをプレゼントしてくれたこと。彼女が、もし、指圧の授業がなかったら、目が見えない自分は、どこにも出かけられず、家に閉じこもっていただけだろうと、言っていたことを話しました。
私は、自分の友好親善の活動や、人々に日本がどう思われているか、自分の印象を話しました。
ハムを食べるという話も盛り上がりました。
私が生徒たちに、クリスマスに何を食べますかと、尋ねました。彼らは口々に、ハムを食べますと、答えました。
私と妻の活動の基本は、現地の人々が食べているものを食べるということでした。そこで、スーパーでハムを買って食べました。おいしかったです。妻にも、食べたかどうか、質問がありました。妻は、ハムは嫌いです。食べませんでしたと、答えました。みんなが笑いました。
以上です。
IAVIのご発展をお祈りします。では、また。
『教師という希望-視覚障害教師の50年史-』のご紹介
立命館大学専門研究員 中村雅也
私は2008年42歳のときに中途失明し、教職を辞した。その後、大学院に入学して、障害のある学校教師について研究を始めた。日本の障害教師について調べるうちに、海外の状況にも関心が向くようになり、特に教育制度が類似している韓国や台湾の障害教師について知る必要を感じるようになった。また、東アジア各国の障害教師たちがお互いに他国の状況を知ったり、交流したりすることは当事者たちにも有意義なはずだ。そこで私は東アジアの視覚障害教師の調査に取りかかった。そのような中で、東アジア各国で活躍する視覚障害者に豊富な人脈をもつ国際視覚障害者援護協会に研究の協力を依頼したのである。今回、ロータス通信に寄稿する機会をいただいたので、僭越ながら拙著の紹介をさせていただこうと思う。
私は本年7月に『教師という希望―視覚障害教師の50年史―』という書籍を学文社から刊行した。本書は教員採用において障害者を欠格とする内規が存在した1970年代から障害のある教師の雇用に合理的配慮が義務づけられている現在までの50年にわたる視覚障害教師の記録である。記録の本筋は12人の視覚障害教師のライフヒストリーだ。この12人のライフヒストリーに関連して、さらに19人の視覚障害教師の個人史を、本筋を補強する史料として織り込んだ。
本書は3部12章、および補遺で構成される。第1部「門戸を開く」は1970年代から1980年代前半に視覚障害者に教職の道を開いた4人のライフヒストリーである。第2部「隘路を歩む」は1980年代後半から1990年代にまだ異例だった視覚障害教師として働き続ける方策を模索した4人のライフヒストリーである。第3部「行方を探る」は2000年以降から現在、視覚障害者が働くために必要な環境を職場に作りながら、障害教師の存在意義を探求する4人のライフヒストリーである。ライフヒストリーは単に歴史的事実を示す情報源というわけではない。それは一人の人間が生きた人生の物語だ。歴史的事実が個人の物語の中に現れ、個人の物語が歴史的事実を構成する。個人の唯一の経験、複雑な感情、練り上げられた思考、多様な営為を知ることで、視覚障害教師の歴史をより深く理解できるはずだ。
本書の12人のライフヒストリーは障害教師が直面した学校教育の課題を具体的に提示している。本書に登場する教師たちは本来的に特別な教師というわけではない。どこにいてもおかしくない多様な教師たちの中の一人だ。たまたま視覚障害があったり、偶発的に視覚障害を有することになっただけである。どんな教師でも目が見えなくなれば、たちまち本書の教師たちと同様の問題に直面するはずだ。現代の学校組織、教育制度が持つ同じ構造の中で、障害のある教師も障害のない教師も教職生活を送っている。障害教師の存在によって照らし出された抑圧構造はすべての教師を潜在的に支配している抑圧構造なのだ。
私は本書に『教師という希望』というタイトルをつけた。視覚障害教師たちは教師という仕事に自らの生きる希望を見出し、その教師たちの実践が閉塞状況にある教育に希望を感じさせてくれたからだ。私が国語の教師だったとき、魯迅の「故郷」という小説を教えたことがある。この短編の最後は次のように結ばれている。「思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」。視覚障害教師たちの50年の歩みは確かに一筋の道を固め、希望をつないできたのだ。
マレーシアで理療の研修会を開催
日本で理療を学んだ元留学生達と協力して、その国での継続的な理療の技術向上と交流がされることは、援護協会の大切な課題です。
マレーシアのフザイファさん、アズリンさん、日本で勉強中のメイさんの3人が、日本から先生2名をお呼びし、10月11日から3日間、クアラルンプールのサニホテルにて20名のマッサージ師の皆さんへ理療の研修会を開催しました。
フザイファさんが代表を務める団体で募集したマッサー師の皆さんは、マッサージの技術向上に大変熱心なようです。先生への感謝の歌まで作る明るさと、熱意、そしてこれからへの期待もすごく強いものだったようです。このような活動の継続に多くのご支援をお願いいたします。
フザイファさんのメッセージの一部、お二人の先生方の感想を、掲載します。
村井先生と渡邊先生への感謝のメッセージ
マレーシア盲人開発協会会長 元IAVI留学生
モハンマド フザイファ ビン アフマド
私たち、マレーシア盲人開発協会(PPOBM)は、村井先生と渡邊先生がマレーシアで私たちと貴重な知識と経験を共有してくださったことに、心から感謝申し上げます。
先生方と3日間ご一緒させていただき、日本のマッサージ技術と鍼灸の新しい、そして深い原則を学ぶことができました。先生方のご指導は、私たちに役立つ知識を与えてくれただけでなく、この分野でのスキルをさらに発展させるための意欲を高めてくれました。この知識がPPOBMのメンバーの福祉と生活の質を向上させるのに非常に役立つと信じています。
「ポラリス」から「ベガ」へ
銀の森治療院長 渡邊 健
天の北極に燦然と輝くこぐま座α星ポラリス。この星は大海原を渡る船乗りにとって、古の時代より航海での重要な道標となってきた。地球の自転軸である地軸の延長線上に位置する星、いわゆる北極星である。しかし、この北極星と呼ばれる星は長期的に見れば時間の経過とともに移り変わっている。それは地軸の指し示す方向が規則的に変化しているためである。地軸は回るコマの軸の如く、自転しながらも円を描くようにゆっくりと頭を振ることで、その向きを規則的に変えている。この歳差運動と呼ばれる動きによって北極星となる星は約2万5千8百年という膨大な周期の中で順々に移り変わっているのである。例えば1万2千年後には、こと座を構成する星の一つである一等星ベガ、通称おりひめ星が北極星と呼ばれることとなる。
10月11日、マレーシア時間午後3時、今までとは少し異なった緊張感を抱えながら、私は3日間セミナー会場となるSホテル2階ホールへと歩を進めた。視覚障害を有する20名の現地セラピストと10名ほどの現地ボランティアスッタフが待つホールは意外にもと言うべきか、明るく穏やかな雰囲気に包まれていた。日本であれば水を打ったような静寂な佇まいの中でのスタートとなるのであろうが、彼らのリラックスした空気感にすっと肩の力が抜けた。
彼らはとにかく明るい。冗談だけでなく、“Shall we study hard together.”といった単なる呼びかけにさえも男女問わず、“Yes~!!”とライブ会場の如く盛り上がる。その反応にやや高揚感を煽られつつ、基本的な上下肢の解剖や徒手検査法の座学を進めていく。その後、5つのベッドに分かれての実習となるのだが、やはり動きのある講義は日本人同様好きなようで、より積極的である。日本と異なる点と言えば、こちらの話が途中であっても、自分がその瞬間に疑問に思ったことがあれば構わず質問してくることだろう。無邪気というか、大らかというか、とにかくまったく嫌味がない。乾いたスポンジのようにとにかく何でも吸収したいという彼らの真っ直ぐな熱意に、私は拙い英語で説明しながら只々手を動かし続けた。互いに視覚障害を抱えた者同士のコミュニケーションは当然のことながら話すこと、触れることが中心となる。イスラム教には、その教えに則って許されること(ハラル)と、反対に禁じられていること(ハラム)がある。物や行動など全般にわたる考え方で、嘘をついたり、他人のものを盗んだりすること、豚肉を食べたりアルコールを飲むことなどがハラムにあたる。また、夫婦以外での男女間の身体的接触は原則禁じられている。医療や教育においては一部許容されているものの、その背景を考えるとこちらはいささか緊張するのだが、彼女らは学びたい一心で積極的に私の手や腕に触れてくる。その思いに応えなければ、と自ずと気合が入ってくる。2日目のセミナーは、3回のお祈りとティータイムの時間を挟みながら朝8時から夜10時まで行われたが、私自身、その間、食事量の多さには驚いたが、心身の疲れを感じることはなかった。最終日、受講証明書(Certificate)授与式が終わると、会場に突然、日本語の曲が流れてきた。マレーシア風の曲に乗って「♪ありがとう、渡邊先生、村井先生!」という歌詞が耳に入り、素直に驚く。受講生の一人が我々ふたりのために創作してくれたという。果たしてそれに見合うものを彼らに伝えることはできたのだろうかと不安になりつつも、じわりと涙が込み上げてきた。
私はこれまで、両親を始め、恩師や地域の方、職場の先輩方など、実に多くのポラリスたる人々の導きを受けてきた。その中で、既に存在する知の獲得、いまだ見たことのない知への期待、そして社会に貢献し得る知の創造といった一連の学びを軸とした生き方の尊さを感受してきた。果たしてこの3日間、私たちもこの目の前の受講生たちにとってポラリスたる存在に少しでもなれていただろうかと考える。甚だ自信はないが、これからの使命は、これまで培って頂いた力を、かけがえのない家族、症状を抱える患者、悩む障害者、そして広く社会のために生かしていくことにある。これから訪れる未来という大海で、飽くなき好奇心を胸に携え、時代と共に移り変わっていく価値観に惑わされることなく、常に肯定的で発展的な疑いを持ち、己の真の眼でその価値を見極め、行動を起こしていく、すなわち新たなる指針「ベガ」を捉え、そこに向かって颯爽と自らの船を漕ぎ続けていく、そんな自分にいつの日かなれたならと思う。小さき船乗りの新たなる航海ではあるが、堂々と白杖を振りながら進んでいこうと、どこまでも朗らかに笑い合う彼らの輪の中に在って、心新たにした。
マレーシアでのセミナーを終えての感想
筑波技術大学保健科学部附属
東西医学統合医療センター 技術補佐員 村井 史昌
マレーシアでのセミナーは、私にとっても深い学びと感動に満ちた時間でした。私は徒手検査のパートを担当させて頂きましたが、受講生の皆さんの真剣なまなざしと吸収力の高さに、常に刺激を受けていました。
セミナー後、帰国のフライトまでの時間を使って、現地で実際に行われているマレー式マッサージを体験しました。これは、皆さんが日々どのような施術をされているのかを知るとともに、自分の身体で感じてみたいという思いもあったからでした。
実際に受けてみると、技術の繊細さと深さに驚かされ、非常に素晴らしいものでした。今回学ばれた徒手検査や按摩・マッサージ・指圧の共通三原則を施術に取り入れることで、マレー式マッサージの効果がさらに高まり、患者さんの満足度もより一層向上する可能性を強く感じました。
今回の開催にあたっては、フザイファさん、アズリンさん、そしてメイさんが中心となり、通訳や運営のすべてを担ってくださいました。特にメイさんは、開催直前に不慮の事故に巻き込まれ、開催自体が危ぶまれる状況となりましたが、ご本人はもちろん、フザイファさん、アズリンさんの「どうしても実現させたい」という強い意志がひとつとなり、周囲の支えとともに、無事に開催へとこぎつけ、成功に導かれました。このような背景を知るにつけ、私自身も一層の敬意と感謝の気持ちを抱かずにはいられません。
3人の通訳の方々は、日本語はもちろん、日本留学時に「あはき」の学びをしっかりと積み重ね、内容を深く理解されたうえで、そのすべてを自分の中に消化されたのだと思います。だからこそ、通訳は的確で、受講生の皆さんにも内容が明快に伝わり、理解が一段と深まったのだと思います。まさに、通訳の質の高さが、受講生の皆さんの“120%の理解”を支えていたと感じています。
また、ボランティアの皆さんにも、時折つたない英語で説明しながら、受講生への補足をお願いしましたが、その理解力の高さには驚かされました。言葉だけでなく、実際にやって見せながら通訳をされる姿を目の当たりにし、深い理解と共感がそこにあることを感じました。さらに、MCとして場を温かく盛り上げてくださった方、会場の設営や片付け、セミナー中の不足物の補充、水やおやつの運搬など、目立たぬところで支えてくださった多くのボランティアの皆さんの存在にも、心から感謝しています。こうした多方面からの支えによって、受講生の皆さんの理解はさらに確かなものとなり、学びの質が一層高まったと実感しています。これはボランティアの方々だけでなく、フザイファさん、アズリンさん、そして病床からオンラインで参加し、通訳を担ってくださったメイさんにも共通して言えることです。そのうちの誰か一人でも欠けていたら、今回のセミナーはこのような形では成功しなかったと心から思います。
このような素晴らしい機会をいただけたことに、心より感謝申し上げます。再び皆さんと学び合える日を、心から楽しみにしています。
2026新年会のご案内
留学生と共に、お茶とお菓子で楽しく交流。気楽に、たくさんの出会いの場にしましょう。
日程:1月12日(祝) 午後2時~午後4時
場所:清水地域センター 本蓮沼駅から徒歩5分
会費:1000円
申し込み:1月8日までに、事務局にメールまたは電話でお願いします。
メール:info@iavi.jp 電話:03-5392-4002
本号の写真
留学生と楽しくバーベキュー。
トルコの女性(右から2番目)と日本語の勉強の打ち合わせ。
「点字考案200周年記念」シンポジウム開催。
業務日誌
9月
19日 シルバーウイークで寄宿舎閉鎖のためファイズさん、 ポンサルさん来館・宿泊(~22日)。
22日 『ロータス通信』314号、墨字・点字同日発送。
キルギスのシリンさんと日本語勉強会の打ち合わせ。
26日 新しいパンフレット完成。配布開始。
27日 ゆるスマの皆さんがiPhone勉強会。(10月・11月)。
28日 「グローバルフェスタJAPAN2025」に参加。
10月
3日 筑波技術大学からの依頼で全盲のエジプトの研究生を連れて、関西の施設訪問(~4日)。
5日 マレーシアでのマッサージ研修会のLINE打ち合わせ。
11日 マレーシアでマッサージ研修会を実施(~13日)。こもどサロン開催。絵本の紙芝居。
12日 留学生と支援の皆さん、上尾の「領家グリーンゲイブル ズ」でバーベキュー。
13日 理事1名選任のための理事会開催。
14日 評議員1名選任のための評議員選任・解任委員会開催。
16日 トルコの全盲女性、突然来所。再度の訪問約束。
17日 第17回視覚障害者向け総合イベント「サイトワールド2025」に参加。
20日 理事選任のための評議員会開催。活動の交流を行う。
23日 筑波技術大学の川本さん、活動協力のために来所。
30日 トルコの女性再度来所。「みんなの日本語」点字版購入。今後の勉強方法を話し合い、交流。
11月
3日 昨年相談を受けた視覚障害の子供について、来日中の中国の親御さんが来所し、状況報告をしてくださり交流。
4日 ベトナムのNGOから理療の勉強のための日本留学の問い合わせあり。9日Zoomで話し合い。
7日 地元の東京都チャレンジドプラスTOPPAN訪問・交流。
8日 こもどサロン。米原さん報告「ネパールの視覚障害者」。
11日 メイさんリハビリ通院のために援護協会で療養開始。
18日 在日ネパール人視覚障害者の相談会に元留学生レカさんと参加。おたがいさまネットワーク定例会「高齢化が進む中国残留邦人の皆さん」参加。
19日 モンゴルから来日したザヤさんの行政関係の事務支援。
28日 点字考案200周年記念シンポジウム開催。67名参加。
社会福祉法人 国際視覚障害者援護協会(IAVI):https://iavi.jp/
〒174-0052 東京都板橋区蓮沼町20-18
電車でお越しの方:
都営地下鉄三田線「本蓮沼」駅下車
「A1」出口を右に出て一つ目の信号を右に曲がり、右手3軒目。徒歩3分。
