NO250

      2024/02/27

2012?6?14

会報第250号をお届けします
     会費のお振り込みをよろしく

理事長 石渡 博明


 『ロータス通信』第250号をお届けします。
いま、手許の会報のバックナンバーを繰ってみると、初期のものはきれぎれで、確かなことはたどりきれませんが、本会の前身、国際盲人クラブ(ICB)が1971年に発足してから4年後の75年に発行された、期日不明のガリ版刷り4ページ建ての会報『ICB情報 1975年度第1号』というのが、最も古いものとして残されています。
 そしてほぼ10年後の84年6月の『ICBだより』第6号から、月刊でほぼ欠号もなく、バックナンバーがそろっています。おそらく84年1月から、現在のような会報になったものと思われます。
 いずれにしても『ICBだより』はその後、2004年12月発行の通巻213号から『ロータス通信』に名称を改め、現在に至っています。当時の発行体制は隔月刊(年6回)でしたが、その後、年4回の時代があり、昨年4月から新井理事の尽力で隔月刊に復帰しました。
 手前味噌になりますが、この間、留学生の投稿や会員の皆様方の投稿も増え、より身近な誌面になってきているのではないかと思われます。250号が300号、400号と順調に発行していけるよう、事務局体制の充実を進めております。会員の皆様方はもとより、関係者の皆様方の心からのご支援をお願いするものです。
 今年もまた、会費のお振り込みをお願いする時期となりました。相変わらずの厳しい経済状態ではありますが、振込用紙を同封させていただきますので、アジアをはじめとする発展途上国の視覚障害者の福祉の向上に向け、皆様方のご支援を改めてお願いいたします。

≪直居先生へのお別れの言葉≫
直居元理事長のお別れの会が5月12日、日本点字図書館で行われ、援護協会も元留学生や元職員とともに参列しました。一緒に仕事をされた元職員のお二人に思い出を綴っていただきました。

  「直居さんの思い出」
                山添 和夫(元職員、現評議員)


 これから先どうなるのかという不安の時期に、無理を押して直居さんに理事長を引き受けていただきました。理事会と評議員会で、絶対に逃がさない、「もう直居さんしかいないんだ」と強硬に迫って、応諾をしていただいた場面は今もある種の迫力を持って思い出します。
 直後にある人が、「直居さんは面倒見がいい人だけど、激しやすい人でもある」というようなことを教えてくれました。ほかの方からも「直居さんは怒ると恐い」と聞かされていました。でも、いろいろと記憶をまさぐっているのですが、面と向かって怒鳴られた記憶がないのです。
 年に1回、留学生の在校している盲学校を訪問して、担任や寄宿舎の先生、留学生と話しをして、生活面や学習について情報を得、より充実したものにできるよう話しあったり、アドバイスしたりすることをやっていました。あれは、北陸地方の盲学校に行くときでした。私は不覚にも寝坊をしてしまい、どう走っても、車を使っても、集合場所に間に合わなくなり、途中で職員の塩崎さんに携帯から連絡を入れました。事情を聞いて彼女は直居さんに替わるからと電話を取り次ぎました。果たして、直居さんからは「先に行ってるよー」と何ともおだやかな声で、ひと言。やはり怒鳴られなかった。もっとも「どうしようもない奴だ」と密かに呟いておられたかもしれませんが。
 見た目ですが、肩幅は私よりも広かったのではないでしょうか。年齢からすれば二回りも上の方なのに、背筋が真っ直ぐで、胸を張った姿勢は威風堂々を絵に描いたようでした。前屈みで両肩を前にたらしている私とは対照的に。直居さんは居眠りをするときも、直角でした。いつだったか、出張の帰りに夜の列車の中で、座席に座ったまま、ウトウトされていたことがありました。お疲れだったのでしょうが、そんなときでさえも座席の背もたれにぴったり背中をつけて、行儀よく胸を張った姿勢で、首がガクっと直角に曲がって前に頭を垂らしていました。こんなふうに人は眠ることができるものなのかと思いました。私が電車の中で眠るときは、全く無防備で体がガクンガクンします。まるで背中が曲がることを知らないのか、背中に鋼鉄の柱でも取り付けているかのようでした。

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 直居さんは常に気を抜くことがありませんでした。「常に」という言い方は正しくないかもしれませんが。何かの報告書だったか、原稿を書いて直居さんにチェックしてもらうと、「およそ70校の盲学校があり……」というような表現のところで「山添さん、いま、盲学校は71校(当時)ある。正確に書こう」と仰られました。大雑把に時の流れに身を任せていたんではいけない。留学生を支援する団体としては盲学校の数を正しく書くのは基本だ、という意味だったのか、細かいことでもその胸を張った姿勢の如くきっちりしていた方でした。
 定期的に毎週木曜日に事務所に来られ、そのほか、必要に応じて足を運ばれていました。大学の講師や日本点字図書館のことなどいろいろとお忙しかったのだろうと思います。事務所に来られると、私の方からそれまでの経過や留学生のことなどを報告します。直居さんは黙って聞いていますが、そのうちにだんだん恐い顔になってきます。いえ、集中して聞いているので、顔が赤くなっていたんです。私は何か怒られているのかと勘違いしてしまったほどでした。今にして思えば、点字で簡単なメモでも作ってお渡しすればよかったのですが、こちらも夢中だったので、余裕がありませんでした。すいませんでした。かなりの量の報告を聞かれていて、果たしてどうだったかといえば、ほとんど頭の中に入っていたようです。会議などで理事長として発言するときも、報告したことをほぼ間違いなく、皆さんにお話しされていました。伝わっていたんだと安心させられました。長らく学校の先生をされていたのですが、背筋を伸ばした姿勢と驚異的な記憶力は厳格な教師を彷彿とさせていました。
 胸を張っている直居さんは、決して虚勢ではなく、弛まぬ努力から培われた積み重ねに裏打ちされていたんですね。俯いていると前屈みになって姿勢が悪くなります。直居さんの胸を張った姿を思い出し、顔を前に向けて背筋を伸ばして街中を歩くことができるように猫背の私に言い聞かせていますが、それには中身も必要なんですが。
 恐い方というより、盲導犬のアビーを可愛がっていた様子などは、優しさに溢れた好々爺でした。思い出の数々は、決してご指導ではなくて、人間として接していただけていたんだと、つくづく感謝しています。 

「直居元理事長、ありがとうございました」
                 中陽子(元職員/旧姓、塩崎)


  会員の皆様、ご無沙汰いたしております。私が協会を退職して8年余が経ってしまいました。その間、結婚し出産し育児に追われていたさなか、突然直居元理事長の訃報をお聞きしました。
 直居元理事長とは、3年ほど仕事をさせていただきました。
 あの頃、直居元理事長は毎週木曜日に盲導犬のファインを連れて協会にいらしていました。協会の事務局のことを細かく指示されるだけではなく、留学生のことをとても気にかけてくださっていました。留学生と自分は対等に、と協会で留学生と一緒に昼食をとる時も食事代を支払っておられたのが、とても印象に残っております。それに、私たち職員のことも考えさまざまな配慮をしてくださいました。そして、いつも温かいお言葉をかけていただきました。直居元理事長が協会にいらっしゃるだけで、安心して仕事をすることができとても心強く感じていました。また、ご高齢にも関わらず、留学生のためにいろいろな場所に赴いてくださっていました。お供させていただきましたが、盲学校の先生方にはっきりと意見をお話になり、留学生には愛情いっぱいの叱咤激励をされていたお姿が目に焼きついております。
 仕事が終わった後は、お酒がお好きだった直居元理事長は私たち職員や留学生とよく飲んでくださいました。なごやかにお話しなさり、ほがらかにお笑いになっていた直居元理事長のお顔を忘れることができません。本当にお優しい方でした。
 直居元理事長、大変お世話になりました。ありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。


≪今年度への期待≫

新年度に入り、早2ヶ月。3人の留学生の皆さんに今年度の目標を書いてもらいました。

「今年の目標」
                     グエン・タイフォン・ニヤ(ベトナム)

みなさん、こんにちは。私はベトナムのホーチミン市から参りました。今埼玉県の特別支援学校塙保己一学園で鍼灸を勉強しています。やはり、鍼灸の学習も難しいですが、私が以前マッサージを習ったことがあるので、初心者よりちょっと楽です。今の学習には自分の弱点を見直すことと臨床上での実習を落ち着いてやりたいのです。それで3年後、鍼灸の免許がほしいです。そう言えば、私の免許の取りかたは時間が掛かりそうですが、私の将来の夢を叶えるために、とても、やりがいがある学習や良い経験だと思います。
あっという間今年度私は理療科の2年生になりました。3年間のなかで2年生がいちばんきついです。座学がとても多くて、それで後期に校外実習もあります。だから、もうちょっとがんばって勉強しないと良い成績がもらえないかもしれません。そうですけれども、私は今年日本語の能力試験の1級を挑戦したいです。実際は、私の先輩たちの失敗の経験や成功の経験を踏まえて、将来、後輩たちを留学させたり、ベトナムの視覚障害者に日本で学んだ事を教えたりしたかったら、按摩の免許や、鍼灸の免許以外は日本語の検定1級も重要だと思います。そうすると、今年できるだけ1級に合格したいです。どうぞよろしくお願いいたします。
 
「学生時代」
カウン・テット・サン(ミャンマー)


学校に入って難しい勉強で毎日忙しく過ごしながら、気がつかなかったうちもう2ヶ月もたちました。早いとは思っているのですが、皆さんご健康はいかがでしょうか。日本の今の気候は過ごしやすいのではないでしょうか。
 私は皆さんのおかげで元気に勉強を続けています。まじめで年下のルームメイトと仲良くでき、色々教わったりしています。
 勉強は大変難しいのですが、私(留学生)がわかるようにわざわざ教えてくれる先生方たちのやさしさを見て、どれくらい難しくても一生懸命がんばって行きたい気持ちになります。
そして寄宿舎のおいしい食事が私の疲れを治してくれます。【人生は学び終わらないことが沢山ありこの人生どこまでいけるかしら!】。
 それでは、皆さんも良い毎日をどうぞお過ごしください 

「新しい生活になる」
モハマッド・フザイファ・ビン・アハマッド(マレーシア)


  2012年4月9日、筑波盲学校の寄宿舎に初めて250-2.JPG泊まった。日本人と二人部屋に一緒に住んでいる。寄宿舎の食べ物はおいしい。日本の寄宿舎の生活をどんどん習っている。
 学校で新しい日本人の友達ができた。クラスの友達も皆が優しくて、もし私が授業があまり解らなかったら、皆も手伝って教えてくれる。
 学校の生活は楽しいですが授業がとても大変だ。解らない言葉たくさんある。でも、いくら難しくても将来のために3年間頑張っていく。


 

 

 

 

 

 

≪韓国訪問記≫   
  新井 愛一郎


5月13日から5月15日にかけて韓国を旅行しました。今回は2人の元留学生に会うことが目的でした。そして、いろいろと旅行の手配をしていただいたのが、今回も呉泰敏(オ・テミン)さんでした。
日本留学で頑張った当時を思い出して
ソウルから特急電車で3時間、南西部の中心都市で、韓国の民主化の聖地でもある光州(クヮンジュ)駅のホームには朴東海(パク・トンヘさん 2002年帰国、筑波大学附属盲学校卒業 京都府立盲学校研修課程卒業)が大喜びで出迎えてくれました。この春から朝鮮大学の特殊教育科に入学して半分の年齢の若者と一緒に勉強を始めました。15000人の学生で全盲学生は彼1人で、点字の教科書どころか教科書データの提供がない中での授業は大変な苦労があるようでした。講義が終わってからも夜8時まで学校に残り、いろいろな勉強会にも参加して、頑張っていました。日本のアニメが好きな自閉症の子供に「あいうえお」を教えることを動機付けとして日本語力を生かしてユニークな教育実習もしていました。
 彼の住むアパートで昔懐かしい「ちゃぶ台」風のお膳でビールを飲みながら、「日本に留学した当時頑張った気持ちを思い出して勉強して、後輩を育てる教育の場で力を早く発揮していきたい」と抱負を聞くことができました。
 夜の朝鮮大学を散歩して、開いた本の形をした彫刻の前で立ち止まった。そこに彫られた文字は、「世界と未来のために学ぶ」とあった。彼の未来に期待したい。

鍼治療で頑張る
ソウル駅から電車で30分、20年前にソウルのベットタウンとして開発された花井(ファジョン)には高層マンションが立ち並び、にぎやかな個人商店街を通ると梁智永(ヤン・チヨン 1997年帰国 筑波大学附属盲学校卒業)さんの治療院がある。
 待合室と受付の部屋、それに「院長」の部屋、それにベッドが一つずつ置かれた3つの部屋で、こぎれいなお店はかなり広い。でも、彼1人で、何もかもやっている。
 帰国後、日本人の多いホテルでマッサージをして日本語ができるというので、随分と人気があったようでした。独立後はマッサージを数年行っていたが、現在は完全予約制で、「鍼・手技療法」の治療を行っている。鍼がほとんどで、その治療の後に少しだけマッサージをするという。一日を通して患者さんが来ているようだが、最近傾向的に減っていると心配そうな顔をしてもいました。ここ10年はほとんど日本語を話したことがないとのことでしたが、彼の綺麗な日本語はほとんど変化ないように感じました。
 治療院を一緒に出て、呉さん夫妻とみんなで焼肉レストランへ。豚肉を焼いてキムチをつけて野菜で巻く。美味しく焼酎もどんどん進む。
「もう一軒行きましょう」という、梁さんのお誘いを何とか断り、呉さんご夫妻が案内してくれて旅館風の宿舎へ。
「昔の思い出だけでなく、これからどうお互いがつながっていくことができるのか」そんな宿題を背負ってソウルから戻りました。

 ≪読者の方からのお便り≫
ロータス通信No.249号をお送りいただいて有り難うございました。直居鐵先生が2月29日に85歳で御昇天なさったとのことを知り、淋しさでいっぱいになりました。
貧しく、苦しいアジアの盲人の方々を懸命に助けられた直居先生、天国にてどんなにイエス様に労をねぎらわれ、祝福されておられることでしょう。イエス様、直居先生の聖名を讃えています。
マレーシアのメイさん、モンゴルのニャマフーさん、ご卒業、おめでとうございます。お二人がご母国の目のご不自由なお友達の為に、お幸せにお働きお導き下さいますようにお祈りします。
ミャンマーのカウン・テット・サンさん、マレーシアのモハマッド・ビン・アハマッドさんの御上にも、主イエスキリスト様のお祝福を切にお祈り申し上げます。(中略)横山さんの白杖作りのお話し、感動しました。

=業務日誌=
4月12日 マレーシアのメイさん帰国、見送り。
4月16日 日本語講師、反省会。
4月22日 卒後鍼灸手技研究会、新年度(第7期)第一回開催。
      卒後鍼灸5周年記念誌発刊記念パーティーに出席。
5月 2日 筑波盲・平塚盲の留学生来館、宿泊(?6日)。
5月 4日 ハワリンバヤル(モンゴル祭り)参加。
5月 5日 カラオケ大会、マレーシア料理を食べる会、実施。
5月 9日 平塚盲PTA総会に出席。
5月11日 点字版選挙公報勉強会に参加。
5月12日 直居元理事長「お別れ会」に出席。
5月13日 新井理事、韓国訪問(?15日)
5月17日 お互いさまネット月例会に出席。
5月20日 蓮沼東町会60周年記念式典に出席。
5月27日 卒後鍼灸手技研究会、第2回研究会開催。
5月29日 平成23年度決算理事・評議員会。
           6月 3日 第30回板橋ふれあい祭に参加。 



社会福祉法人 国際視覚障害者援護協会(IAVI):https://iavi.jp/

〒174-0052 東京都板橋区蓮沼町20-18

電車でお越しの方:
都営地下鉄三田線「本蓮沼」駅下車
「A1」出口を右に出て一つ目の信号を右に曲がり、右手3軒目。徒歩3分。

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