視覚障害留学生、盲学校を卒業
キルギスのサマットさんにインタビュー
本日、2024年3月15日、筑波大学附属視覚特別支援学校鍼灸手技療法科を卒業しました。みなさんご支援ありがとうございました。
最初の5か月間は本当に大変でした
入学時には、会話は少しできた程度で、医学的な言葉は全然知らなくて学校に入りました。やはり日本語が一番難しかった。
毎日の授業は日本語で勉強して、さらに普通の日本語とはまた違う東洋医学を勉強する。西洋医学と東洋医学の考え方も違う。それを区別して勉強するのは難しかった。
4月に入学すると日本人組と留学生組に分かれます。その時、留学生組は私と中国の方で、二人で一緒に別室で勉強します。でもその方はすでに日本に長く住んでいるので、日本語も普通にできるのです。その方は先生にいろいろ授業中に質問をします。でも私は先生の言葉がわからないので質問などできず、静かに座っていました。
でもわからないけど毎日頑張って授業に出ることを心掛けた。先生は一つ一つ言葉を具体的に理解できるように説明してくれる。そうすると一つずつですがわかるようになります。
本当に疲れて、授業が終わって部屋に帰るとそのまま寝てしまい夕食の時間にも気づかないこともありました。
例えば、「らせん状」という言葉が出てくる。皆さんは説明しなくてもわかると思いますが、私にはわからないので、先生が実際にひもを持ってきて、その状態を手で触って理解できるようにしてくださる。
入学してから5カ月くらいして、医学的な言葉もだんだんわかってきて、私も授業が理解できるようになっていきました。
コロナの影響で辛かったこと
入学してから、卒業する少し前までコロナ禍での学校生活でした。
最初は寄宿舎では日本人の方と同室で、生活でわからないことや、勉強でわからないことなどを優しく教えてくれたが、半年後コロナの影響で一人部屋になってしまいました。
また、感染防止ということで寄宿舎での生活に細かな規制がたくさんありました。食堂でしゃべってはいけない、他の部屋に行ってはならないなど。話せるのは授業だけで、みんなでワイワイと楽しくやれればもっと日本語もうまくなったと思います。
マスクの着用もそうですが、キルギスより大変厳しい感染予防でした。
コロナ禍でキルギスに2年半帰れなかったですが、WhatsAppでインターネット会話ができたので、家族や友達とたくさん話しました。昔の留学生はどうしていたのでしょうか。
また、日本語の理解不足のため、生活面でのいろいろな誤解がありました。
寮の生活で楽しかったこと
寮のお祭りで、寮のみんなでいろいろなゲームをしました。「サンダル飛ばし」がすごくおもしろかったですが、私は前ではなく、上の方に飛ばしてしまいました。
寮の生活では、日本人だけでなく、留学生も含めいろいろな国の人と話ができて、キルギス人と違う考えを持っている人たちと話すのが大変面白かった。
頑張った国家試験の受験勉強
日本人には、コツコツ勉強するという習慣があるが、私は直前でないと勉強しないタイプです。
3年の5月の「模擬試験」ではかなりできたので、「これは大丈夫」と思っていたが、本番に近い言われる9月末の「模試」が大変良くなかった。これではだめと、焦りました。10月から朝起きて寝るまでずっと勉強でした。授業時間以外にいろいろな先生に時間があれば「補修」をお願いしました。夕食後から10時まで同級生と決めて必ず一緒に勉強しました。疲れているが、友達と勉強するという約束を守りました。
スマホを手にすれば何時間でもYouTubeを見てしまうので、このアプリをスマホから削除して、友達からの電話にも出ませんでした。
大学でやりたいこと
4月から筑波技術大学で勉強します。理療の国家資格がとれると取得単位数が少なくてよいので、臨床室で治療の勉強をすることが多いと思います。英語の授業もあるので、頑張りたいです。
盲学校で臨床もかなり勉強しましたが、最後はとにかく国家試験受験のための勉強でしたので、今後は手技の技術を上げていく勉強を重視していきたいです。
アルバイトなどもして実技をたくさんしたいです。
盲学校では医学関係の日本語が中心だったので、広い分野の日本語をもっと勉強したいです。
とにかくいろいろな人との関わりを作ったり、いろいろなものを見てみたいです。盛岡の手で見る博物館にも行きたいです。キルギスの視覚障害者のためになるものをたくさん見てみたいです。
社会福祉法人 国際視覚障害者援護協会(IAVI):https://iavi.jp/
〒174-0052 東京都板橋区蓮沼町20-18
電車でお越しの方:
都営地下鉄三田線「本蓮沼」駅下車
「A1」出口を右に出て一つ目の信号を右に曲がり、右手3軒目。徒歩3分。