NO.248
2024/02/27
2012-2-20
春の訪れを待ち望む
理事長 石渡 博明
暦の上では既に春が来ているようですが、この冬は近年の暖冬とはうってかわって厳しい寒さの毎日が続いています。皆様方におかれましてはお元気でお過ごしでしょうか。
『ロータス通信』前号での歳末のご寄付のお願いに際しましては、多くの方々から多額のご寄付を賜り心から感謝申し上げます。また、留学生のためにお米や野菜、果物、衣料品などをお贈りくださり、感謝に堪えません。改めて御礼申し上げます。
さて、舟橋記念会館では、年末・年始に先輩留学生が戻ってきて、久しぶりに賑やかな日々となりました。年末のカラオケ大会、地元・氷川神社への初詣で、3日は好例となった弱視者問題研究会の皆さんとの高尾山初詣で、7日は日本失明者協会の茂木先生ご夫妻や東京ヘレンケラー協会の三浦理事長、視覚障害者支援総合センターの高橋理事長と職員の皆さんなど、多くの方々をお迎えしての新年会と、忙しい中にも楽しい時間を過ごすことができました。
また、マレーシアとミャンマーの新留学生、フザイファさんとコンテさんの二人は、2月13・14日と浜松のNPO法人・六星ウイズさんでの白杖作りの研修旅行を無事終えて、舟橋記念会館での事前研修も大詰めを迎え、大きな行事は、2月25日の板橋グリーンホールでの外国人によるスピーチ大会での発表、2月27日?3月1日の筑波大学附属視覚特別支援学校での体験入学、3月の盛岡の「手で見る博物館」への研修旅行、座・スーパーマーケットさんでの着物体験を残すばかりとなりました。
南国生まれの二人にとっては厳しい冬の寒さでしたでしょうし、厳しい訓練の6ヶ月だったと思われます。幸い大きな病気も怪我もなく過ごすことができそうですが、一日も早い春の訪れが待たれます。
ところで、巨大地震・巨大津波に加えての原発事故という未曾有の災禍、3・11から間もなく1年を迎えようとしています。日々の忙しさに追われ、何もお手伝いできない我と我が身に忸怩たる思いですが、寒さの中、復旧・復興の遅々とした歩みに被災地の方々、支援の方々の身心両面にわたるご苦労がしのばれます。
にもかかわらず、そうした被災者や支援者、多くの国民の思いをよそに、政争に明け暮れ、社会保障を口実とした増税やらTPPへの参加、電気料金の値上げと、国民の負担増、社会的弱者の負担増に邁進するこの国の政官財の在りようにはほとほと呆れるばかりです。
季節がめぐれば春はおのずとやってきます。この国に、本当の意味での春が一日も早くやってくることを願わずにはいられません。
≪留学生のスピーチから≫
案ずるより産むがやすし!
モハマッド・フザイファ・ビン・アハマッド (マレーシア)
今、鍼灸マッサージの勉強をするために、日本語を勉強しています。日本の文化と私の国の文化は全然違います。一番違うのは銭湯のことです。
日本へ来る前に銭湯のことはよく聞きましたが、経験がありませんからとても心配しました。特に私の妻にとっては銭湯のことが一番大きい問題でした。先月まで、妻に電話をかけると、私が元気でいるかどうかは聞かないで、一番最初に「銭湯へ行きましたか」と質問します。妻は銭湯のことを温泉の混浴と同じだと思い込んでいました。
私も心配でした。でも、この間銭湯へ行って、実際に入って安心しました。銭湯はとてもよかったです。そしてさっそく妻に電話をかけて銭湯の経験を教えました。妻は、銭湯のことをとてもよく理解して安心しましたので、今は、心配事はありません。
私の国では銭湯は全くありません。マレー人は自分の家でシャワーを浴びます。家族とも一緒に入れません。みんな別々に入っています。それはマレーシアの文化です。
次に、地震の問題も心配しました。去年3月11日地震があった時、私は日本へ留学をするかどうか考えてしまい、申込の書類の提出をするかどうかよく分かりませんでした。
原発汚染の問題は、とても心配で、もしもう1回あのぐらい大きい地震と津波があったらどうしますかと考えました。
マレーシアでは地震と津波は全然ありませんからとても心配な気持ちになりました。そして、家族と友達と相談して、色々なアドバイスを聞きました。その後で日本への留学を決めて、申込の書類を出しました。
今、こうして日本にいます。とてもよかったです。しかし、今でも地震があったら、少し怖いです。最初は時々よく寝られませんでした。
今、日本へ来てから4ヶ月になりました。日本の生活と文化には段々なれてきています。日本へ来たころの心配事はなくなりました。これからの毎日を楽しみにしようと思っています。
面白い日本の文化を知りました!
カウンテット・サン(ミャンマー)
それぞれの国によって面白い文化や習慣が沢山あるのは、当たり前です。日本で私が勉強して知った日本の文化・習慣の中のひとつに、私が興味を持ったものがあります。
去年11月の14日、巣鴨駅近くの大鳥神社の「酉の市」へ行きました。そこには、沢山の屋台があって、子供たちも来ていて楽しそうにしていました。私たちも色々な物やお店などを見ながら歩いていた時、突然、掛け声と拍手が聴こえてきて、びっくりしました。
何だろうと思って聞いてみたら、それはひとつの日本の文化で「三本締め」だというのを知りました。
三本締めという習慣は、お祝いかお祭りなんかでもよくやっている習慣だと教えてくれました。
その時も熊手を買いに来る人たちに、店の人たちが応援しているようで、大きい声を出して三本締めをやっているのです。
時間がたって帰ろうと思いながら、三本締めのことはここでこのまま終われない気持ちになりました。自分もその店の人たちと一緒に体験してみたいと思ったので、もう一度その店へ戻ってまた熊手を買いにくる人を待っていました。
熊手を買った人にお店の人が三本締めをしています。熊手を買う人が現れるまで待ちました。しばらく待っていましたが、やっとやってみることができました。
買う人たちはどういう風に感じるかわからないですけど、私はすごく喜んでいました。
自分の国みたいに日本でも屋台があるという事を知りませんでしたが、それも分かって、三本締めという日本のすばらしい文化にも触れて体験させてもらったので、その日は本当に楽しい一日でした。
うちへ帰っても三本締め。次の日、それから二、三日までは、三本締めの毎日でした。
最後に、皆様とご一緒に。お手を拝借いたします。
それでは、「よーお。」(三本締めを、皆様とやりましょう)
≪海外からの便り≫
韓国での国際交流活動を夢見て
呉 泰敏(韓国)
私が勉強するために成田行きの飛行機に乗って訪日したのはもう20数年前のことになる。訪日してからは、多くの人と出会い、また、助けてもらいながら、14年間を過ごした。
帰国してみると、私は、日本での生活に慣れていたため、韓国での環境の変化にかなりのとまどいを感じた。それに、同年代の友達は、その間私と違ってみんなそれなりに安定した社会的な地位を得ていた。私は、10数年分の韓国社会の変化に適応するための努力をしながら、安定した暮らしのために、一生懸命にならざるを得なかった。
帰国してから8年ほどが過ぎ、現在は、中途失明者を対象にマッサージを教える教師の仕事をしている。そして今は、韓国での生活にも十分慣れてきて、一社会人としての役割も担えるようになった。何よりも嬉しいことは、日本・日本人との交流が続いていることで、そのことに感謝している。
私は、仕事をしながら、時には、協力団体の職員として、時には、個人の立場で依頼を受け、通訳や案内など日本人との交流に関わっている。しかし、何時もそれだけでは、物足りなさを感じていて、もっと自分から積極的に関われることがないかと考えていた。そのきっかけとなる出来事は、二年ほど前のことだった。
ある日、アメリカに留学経験のある後輩と東京に行く機会があって、幾つかの施設を見学したり、関係者と直接会って、意見交換をすることになった。彼は、日本語ができないので、私に通訳をしてもらったり、時には、直接英語でのやり取りをしながら、スケジュールをこなしていた。英語でのやり取りをしながら、人と会って自分の意見を躊躇なく述べている後輩の姿を目にして、私は、自分の若い頃の姿を思い出し感慨深かった。
彼は外国に出かけて行き、初めて会う人にも怯むことなく、英語を通じて意見交換をしている。その姿はふてぶてしく思えるほどだった。
私や後輩が勉強する機会に恵まれ海外に行ったように、海外で勉強する機会が与えられることはすばらしいと改めて実感した。そして、海外で勉強できる人材を育てることを考えた時、新しい希望を見出したような気がした。
頭が良くて、勉強だけができる人は沢山いる。しかし、今日のように、国際化の時代を生き抜くためには、もう一段のステップアップが必要である。そのためには国際化時代に対応できる教育の力が不可欠である。私の将来の夢は、韓国で留学生を受け入れ、そのような教育をすることである。
そのために、社会的な信頼を得る努力をする必要がある。そして、私と同じ考えを持つ会員を一人でも多く確保するために、長期的な視点に立った活動を少しずつ始めることである。先ずは、石渡理事長や新井さん等と連絡を緊密にし、何ができるかを相談しながら協会の韓国支部のような形で出発をしたいと考えている。
心強いのは、協会の留学生だった人で直ぐにでも連絡が取れる人がいろいろな国に帰っていることである。その人達とも連絡を取りながら活動の内容を考えていきたい。 会員の皆様にも是非応援していただき、後押しをしていただければ幸いに思う。
「もっと知識を得たい、交流したい」
― キティポン・ウエッチャモンさん (タイ)の活躍 ―
(編集担当:新井)
23年前のあの日、盲学校に入学するための眼科受診に付き添って彼と道を歩いていた。黄色い旗が道端で風にはためいていた。その様子がほんの少しわかるようであった。
台湾から2人、韓国から2人、そして彼と、計5人が、私の家の狭い2DKで春休みを過ごした。他の4人と違い、パンが好きで、鶏肉を自分で買ってきて調理していた。とにかくマイペースであったことを思い出す。大阪から帰ると、すっかりと大阪弁になっていた。
2月1日の夜、Skypeで彼から話を伺った。ちょうど明日から数日間の海でのスポーツ大会に生徒を連れていくとのことであった。以下、
Skypeの内容を中心にキティポンさんのようすを紹介したい。
ベテランの先生
1989年3月大阪府立盲学校に入学、普通科で1年、その後理療科で勉強し卒業して、1994年3月に帰国。帰国後すぐに、現在の職場へ。「盲人技術開発センター」でずっと教師をしている。マッサージを専門に教えている職業訓練センター的な施設である。
彼は、毎日、解剖と生理を教え、衛生学やその他は週1回教えている。現在は1年と2年が各25人程度、3年生が数人と、50人強の生徒と、実技の先生が3人、それと彼である。
「生徒は、あまり勉強したがらないが、筋肉と関節のことを良く理解することが、マッサージをする場合に大切である」ということを力説していた。
私にはわからないが、ベテランの理療の教師である。日本の盲学校でしっかりと、体について学んだことが役立っているという。
大洪水で学生は避難
昨年の大洪水では10月中旬から3週間程度、学生たちを自宅に帰宅させた。彼の施設も洪水が押し寄せて、被害が出るのではとの予想からであった。
なんとか直接的な被害は出なかったようであるが、家が水に浸かってしまった先生や、避難してきた卒業生などもいたようである。
これから期待すること
今後の日本との交流のことを聞くと、彼は二つ答えてくれた。
理療のことをもっと勉強したいが、そのチャンスがない。教えてくれる先生がいたのなら良いのだが・・。
また、この『ロータス通信』の読者の方で、Skypeでタイの言葉を勉強してみたいという方はいらっしゃらないでしょうか。
彼も、ほとんど日本語を話す機会がないので、このような方と一緒にタイの言葉を教えながら、いっしょにお話しがしたい、とのことでした。ぜひ、Skypeしてください、みなさんにスカイプ名を教えてください、とのことでした。
スカイプ名は kittipong44 です。
(終り)
◎楽しかった新年会
1月7日、巣鴨駅近くの中華料理店「泰平飯店」において、43人の皆様にお集まりいただき、IAVI2012年新年会が開催されました。 新留学生の二人と、盲学校に通う6人の留学生が6つの丸いテーブルに分散して皆様と懇談しながら、楽しい一時を過ごしました。
「久しぶりに会ったら日本語がすっかりうまくなったね」、「日本の食事はどうですか」など、それぞれ交流の輪が出来ていました。
また、新留学生の日本の歌や、女性留学生全員での「上を向いて歩こう」の合唱、オカリナ演奏など、大いに盛り上がりました。オークションも行われ、留学生達の国々の衣類や小物なども出され好評でした。
最後に、舟橋理事の「この活動をもっとたくさんの方に知っていただき支援の輪を広げましょう」と言うことばをみんなさんで受け止めて、楽しい一時を終了しました。
<訂正とお詫び>
ロータス通信第246号でお知らせしました、援護協会役員一覧の内容について一部誤りがありましたので、以下のように訂正させていただきます。大変ご迷惑をおかけしましたことをお詫びいたします。
監事 中原章雄:東京簡易裁判所(霞ヶ関)司法委員
=編集後記=
新留学生の二人は、この文章で弁論大会に臨みました。新鮮な感想、なかなか面白かったです。
また、帰国した二人の元留学生のみなさん、懐かしい方もいらっしゃると思います。本当に立派になりましたね。昔の思い出とともに、これからの交流こそが問われています。(愛)
= 業務日誌 =
12月17日 埼玉県主催第5回塙保己一賞受賞式に出席、貢献賞を
受賞。
12月22日 『ロータス通信』第247号墨字版を発送。
12月27日 事前研修第1学期終了。
12月28日 仕事納め。
1月 1日 板橋・氷川神社へ初詣で。
1月 3日 弱視者問題研究会の皆さんと高尾山初詣で。
1月 4日 仕事始め。事前研修第2学期授業開始。
1月 7日 巣鴨・泰平飯店で新年会。
1月19日 お互いさまネットワーク月例会参加。
1月23日 板橋視覚障がい者福祉協会新年会に参加。
1月24日 東京ヘレンケラー協会訪問。
1月29日 今年度第6回卒後鍼灸手技研究会実施。
2月 5日 「日本とアジアの視覚障害者事情」第4回講演会。
社会福祉法人 国際視覚障害者援護協会(IAVI):https://iavi.jp/
〒174-0052 東京都板橋区蓮沼町20-18
電車でお越しの方:
都営地下鉄三田線「本蓮沼」駅下車
「A1」出口を右に出て一つ目の信号を右に曲がり、右手3軒目。徒歩3分。